帰省

しばらく帰省していなかったのだけど、祖母の容態が芳しくないので、意識がある今のうちに帰ってくるようにと、昨年末に母親からの命が下りた。普段はあまり帰ってくるなと言われているけど(苦笑)。
年末で、しかも急だったためチケットの割引もなく、自宅のインターネットもトラブルで使えない状態だったので、チケット情報を調べるにも都合悪く、仕方ないのでパイロットをしている友人に連絡を取って、何か割引が適用されるチケットを今から取ることはできないか問い合せてみた。
彼の持つ株式優待券を速達で送ってもらうことができて、結果的にとても助かった。友人をそういう事に利用するようで気乗りはしなかったけど、何しろ正規料金で往復すると6万円以上かかってしまう。あまり懐が温かくない身としては大変ありがたかったので、今回は甘えさせていただいた。


祖母は95歳という高齢。
腕のいい大工の棟梁の娘として、愛媛県の片田舎の裕福な家庭で育ったそうだ。
大変おおらかで人から好かれる彼女はまた、手先が器用で、洋裁も和裁も得意。特に和裁の腕は相当なもので、お弟子さんをたくさん育て、趣味の刺繍や刺し子、人形作りにも、物づくりの才を発揮した。
そういう物づくりの才を、ボクはきっと祖母から幾分受け継いだのだと思う。
実際、趣味で始めた物づくりが高じて、世界の傑作品として一流ブランド品に混じってボクの作ったものがモノ・マガジンで知られるワールドフォトプレス社のムック本で取り上げられたこともあるくらいだから、ボクも物づくりは決して苦手な方ではないはずだ。
かつて、ボクがそれを始めた頃には祖母からのダメだしを頂戴することが多々あったが、しばらくするとそのダメだしはなくなり、むしろ褒めてもらえるようになった。
物を作ることが好きなボクは、物づくりのプロに対しては特別な尊敬を感じる。だから祖母に対しても、年長者に対して普通抱く敬意とはまた別の意味での尊敬を幾らか感じている。
そんな祖母だが、先日久しぶりに会った時には病院のベッドで何種類もの点滴のチューブやら、肺に溜まった水や尿を抜くチューブやらが繋がった痛ましい姿だった。
腎臓が機能していないので尿が出ない上に尿毒素が全身に回り、肺も水浸しの状態。嚥下能力が低下していて、流動食もホンの何口か食べるのがやっと。
その様子を見ていると悲しくなって涙が滲んでしまう。東京に戻る日、早朝病院に行ったが、涙を我慢できなくなり、病室を出て車の中で号泣してしまった。次に帰省したときにはもう世の中に存在していないのだと思うと、祖母のこれまでの人生を勝手に想像して涙が止まらなくなった。
日曜日に東京に戻る道中も何度も涙があふれた。どうもボクはあれこれと想像を働かせすぎて勝手に盛り上がってしまうようだ。
そしてその週の水曜日の深夜、祖母は亡くなったそうだ。
それからはあまり涙はでない。もう苦しまなくて済むのだなと思うと、ボクの気持ちも随分楽になった。
ここ数年、件の物づくりの趣味はやめていたのだけど、祖母が亡くなったのがきっかけで、また作りたくなった。
せっかく祖母から受け継いだ物づくりの才能だし、孫の間でそういう志向を持っているのは残念ながらボクだけなので、何もしないのは勿体無いなと、そう思った。