日記生活

Blogというものについて今更考えてみました。
ここを書き始めて優に一ヶ月以上が経ちました。
Blogの仕組みを作った人たちによれば、日々の生活を書き綴った日記は意味がなくて、社会や政治問題について議論することに意義があるんだと。
ふぅ〜〜〜ん。
頭のいいお方々のおっしゃることはよく分かりませんわ。
みんながみんなジャーナリストやアナリストになってどうするってんでしょうか。
ボクなんかね。
日々の生活を淡々と書き綴っただけのものがすごくエキサイティングで、そういうものに出くわすと思わず引き込まれてしまうわけですよ。
たとえばアンテナに登録させていただいている画家の古谷利裕さんの偽日記っていうのがあるんですけど、観た映画とか読んだ本の感想とかを書いておられて。
批評したりとか御託を並べたりとかするのではなく、本当に感じたことを淡々と語っているんですよ。結構話題らしいですよ、ここ
あとボクが好きなはてなid:popholicさんの日々の泡とかは日々の生活が書き綴られるわけです。
割と淡々と、しかしそこにディティールが書き綴られているのですが、ボクはこういうの読むと引き込まれるんですね。
個人の日常こそがリアリティじゃないですか。
だってしゃべり場みたいになっちゃったら、みんな構えてカッコつけっちゃって真実じゃなくなるもんなぁ。
それにせいぜい友だちか親しか見ないなんてことはないと思いますけど。
社会っていうのは結局は個人の集合体ですよね。
個人が何かを食べたり仕事をしたり何かを感じたりっていうそれぞれの暮らしがあって、その暮らしの集合体が社会ですよね。
なのになぜ日常が綴られた日記形式のBlogが大して意味のないこととおっしゃるのかさっぱりです。
ボクはこの頃、物事はディティールがすごく大切なのだとつくづく感じているのです。
だからボクは彼らの日記ブログのファンです。
そしてまた彼らが結構いい文章書くんですわ。
あ、そうそう。
先日鑑賞してきた山下清原画展には、彼の書いた日記とか反省文(笑)とかも展示されていたんですけど、これも淡々と日常(と言っても放浪が日常だったりする訳ですが……。)や思ったことが非常に正直に綴られていまして、でもこれがまたいい文章だったんですよね。
そう言うボクの日記はしょうもないんですけどね。(;´д`)
 
ところで話は全然違いますが、こんなエレベータ嫌ですね。……って、結局おふざけなしでは終わらないのかい。