命というもの

昨夜仕事から帰って風呂、食事を済ませ、どうにも疲れていてうつらうつらしているうちにいつの間にか転寝していたようだ。
そのまどろみの中へ舞い込んできたのは突然の悲しい知らせだった。
電話のベルにはっと目が覚め、ある知り合いの訃報を耳にした。
亡くなったのは本当に幼い頃から知る子で、父親の男手ひとつで立派に育てられた兄姉の末弟だった。
享年20歳。
誕生日からわずか21日後、不慮の交通事故によって突然絶たれた若い魂。
残された兄姉や父親のことを思うとやりきれない悲しみに全身を呑み込まれた。
戦争で、テロで、事件で、病で、そして事故で日々貴重な命が実に簡単に失われていく。
何かの唄も訴えていたけど、映画の中、ドラマの中、物語を盛り上げるだけのために実に簡単に人が死ぬ。
人の命について真剣に考えているとは到底思えないその手の話が、多くの人に娯楽として受け入れられている事実にボクは違和感と共に反感を覚える。
遥か昔から、生まれた魂はやがて必ず土に帰ってゆくのが自然の掟とされてきた。
でも本当のところ人間の感情にとって、いったいこれほど受け入れ難く不自然なことが他にあるだろうか。
人の死は自然なこととしてはとても受け入れ難いと思う。
すぐそばで笑っていた命が、ある日突然存在しなくなる。考えただけで異常事態にしか思えない。
昨夜はその子の幼い頃の人懐っこい笑顔が繰り返し脳裏に浮かんでは消え、その都度幾度も涙が溢れた。
 
今日、急遽共通の知り合いと乗り合わせて佐賀県で行われた告別式に参列してきた。
いつも感じることだが、やはり残された家族に会うと胸が痛んでいたたまれない気持ちになった。
自分の命さえままならない、死という現実の前になす術を持たない無力な人間。
自分が何のために、どう生きるのか、改めてじっくり考えることにしようと思う。