ダメ人間の軌跡

ギラギラ照りつける太陽の下、汗を光らせ自転車漕いで部活に通う女子高生を見かけて、なんだか自分の高校生時代を思い出しちゃいました。
もちろんボクは間違っても女子高生ではなかったけど。(笑)
小学生から中一まで、ボクはリトルリーグやら学校の部活やら、もろに体育会系の生活を送ってました。
でも体育会系のノリになんかなじめなくて、それに時代の気分で、突然「今日から文化系宣言」をしたボクは、部活やめて帰宅部キャプテンに勝手に就任。
コンセプトはネクラ、病弱(古っ)。
テクノ少年に体育会系なんて似合うわけないですから。もちろんテクノカットだったし(これまた古っ)。
文化系と言いながら帰宅部なのは置いといて、高校では全員部活に所属することが義務付けられていたので、子どもの頃から絵とかデザインが得意だったのもあり、しかしホントは一番暇そうだった美術部を選択して、これで晴れて文化系に。
絵はたまに描いてましたが、主な活動内容は講師の先生を巻き込んで音楽活動という体たらく。
その先生がいいギター弾きでねぇ。
 
ま、それはいいんですが、夏になると今でも時々あの美術室を思い出すのです。
美術室なんてほとんどボクとクラスメイトの男子の憩いの場となっていて運動部以外のクラスの男子はほとんどが美術室で昼食と言う毎日。
終いにはなぜかクラスの運動部以外の男子のほとんどが美術部員名簿に名を連ねていたと言う……。(あ、男子は3年間持ち上がりでして、みんな仲良かったんですよ)
思えばボクはやっぱり自由気ままな人間で、修学旅行に行きたくなかったので「ボクは行かない宣言」をしたんだったな。
そしたらオレもオレもと、クラスの男子が数名「行かない宣言」しちゃって、なんだか職員会議で問題になったらしいっす。
言いだしっぺのボクは別に他の人に呼びかけたわけでもないんだけど、結果的には大変なお騒がせ。
そういえば北高の文化祭のバンドは凄いらしいと聞いて、これは偵察するしかないでしょうということで仲のいいバンド仲間と二人で授業抜け出して北高生の振りして潜り込んだこともありましたっけ。
そしたらこれまたオレもオレもと関係ない連中がぞろぞろ付いてきちゃって、お陰で抜け出した時限の国語の先生に怪しまれちゃったこともあったなぁ。
その時限にクラスの男子が半分になったって言うからそりゃ怪しまれるって。もっと考えろ。
今にして思うとなんてひどい学生だろうか。
まったくもって自由奔放すぎるよね。
でも決してワルでもヤンキーでもなく、基本的にはまじめだったし、先生からの評判も悪くなかったんですよ。ホントに。
鷹揚な奴だ位に思われていたんだと思います、多分。……違う?
何せある遅刻の常習犯の遅刻の理由が、今日は向かい風だったから(自転車通学です)っていう理由で通ってた時代の話ですから。(時代の問題か?)
ちなみにその人、3年の頃には遅刻しそうだと分かったら、針路変更して海に直行してました……。
で、弁当の時間に合わせて登校してました。別にヤンキーじゃない人です。(どんな学校やねん)
まったり南国風味効きすぎっすよね。
 
話が横道にそれましたが、美術室。
夏になると筆洗い用の横長の広いシンクの排水口に雑巾詰めて水を溜めて、みんなで仲良く椅子を並べて足を水に浸けて涼みながら弁当食べたもんです。
昼休みの外の様子を眺めながら、蝉の鳴き声を浴びながら。
美術室は2Fで、1Fは図書室になっていて、図書室から本を借りてきては読むのではなくて、美術室の大きな机を使って卓球大会。
本(というかケース)はラケットです。
ちなみにボクの愛用ラケットはルノアールの画集のケース。
あ、読書家の皆様。本をそんなことに使ってごめんなさい。
当時よく司書の方から叱られてましたからここはひとつご勘弁を。
鼻毛のイタリアン……じゃない、若気の至りです。
 
放課後、美術室で器用な女子に散髪してもらってカット代浮かしたりとか。
放送部の女子にお願いしてラジカセ一台調達してもらって、美術室に置いて昼休みや放課後はいつも好きな音楽かけてたっけ。
教官室に楽器置かせてもらって、ドラムやらシンセまで教官室に持ち込んで文化祭のオーディション用テープをレコーディングしたりしてたなぁ。
って、やりたい放題過ぎるじゃないか。
なんかボクらが卒業した後、美術室の鍵はきっちり司書の先生が管理して美術部員の自由にはならなくなったそうです。
悪い先輩でごめんね。
でもあの美術室には、青春の想い出が詰まってるなぁ。
鍵が閉じられたまんま。
 
ん、考えてみたらどこも文化系なところがないし……。
あの頃からダメ人間道を突っ走っていたんだな。