親はよく観ているもので

突然ですが。
若い頃に何度か、母親から「あんたは能力のない人間に対して冷たい」と批判されたことがあります。
もちろん、そんな覚えはないし、そのたびに反論しました。
そもそも自分自身が能力ないのに、人様を能力がないなどと評価を下した上に冷たく扱うなんてとんでもなくイヤな奴じゃないか。
断固としてそんなこと認められない。


ところが、です。
実は最近、時々思い当たる節が……。
自分の中で相手の能力がないからと評価してのことではないのですが。
例えば会話していて会話が成立しない人が稀にいます。
空気を察することができなかったり、話の要点が掴めないとか理解力が極端な程に欠けているとか。
それなのに妙に自分に自信を持っていて頑固で、且つ話が異常にしつこい人。
ボクは淡泊な性格で、意外と情報に関してミニマリスト
なのでそんなときに自分が異様にイライラカリカリしていることに気がつきました。
訊いたことに明確な答が返ってこないまま迷走するどうでもいい情報をダラダラと聞かされた上になぜか上から目線のもの言い。
他愛もない会話の場合は問題ないですが、必要な情報があって、それを共有するために会話している場合はもうほとほと参ってしまうのです。
思い返してみると、時々出会う正にそういうタイプの人と接した時、自分が普段の自分ではなくなっていたなぁ、と思い当たります。
母親にはそれが、能力がないと見下している人には冷たく接しているという風に映ったようです。
確かに、コミュニケーション能力が著しく劣っている人と接するときにボクはかなりきつくなっているようです。
でもそれは巧く意思の疎通が図れないことにイライラしている訳で、本当はちゃんとコミュニケーションをとりたいと思っているだけなのですけど。
しかしじっくり考えてみると、それはつまりイレギュラーな条件に出くわした場合に自分のコミュニケーションスキル(と言うより優しさや愛情の類なのか)が不足していることでもあるわけですよね。
まだまだ尻の蒼いガキだなぁ、なんて言い訳できる年齢じゃないから本気でそういうところを直さなくてはと思う今日この頃でした。


そう言えば、9月までYMOのインタビューがこちらで見られますよ。