三つ子の魂どころか

今日はボクの極私的音楽史(笑)。
つっても、それほど書くこと無いので掻い摘んでザザーッとですが。
本人の記憶はほとんど無いのですが、ボクが初めて好きになった音楽はトワ・エ・モアの「空よ」だったらしいです。
1970年のヒットソングなので、ボクはまだ2歳くらい。
しかしその曲が流れると、リズムに合わせて体全体を揺らしていたと言います。
それがピッタリとリズムと合っていたというので、幼いながらにその曲をちゃんと認識していたのだろうと思います。
ちなみに父はジャズアルバムのコレクターでしたが、母曰く、父がジャズを聴きながら取るリズムはどうみても全然合ってなかったそうです(笑)。

トワ・エ・モワ ゴールデン☆ベスト

トワ・エ・モワ ゴールデン☆ベスト

聴いてみると、なるほどという感じで、自分の好きな基本的な要素は満たしていますね。
要するに、記憶にもないような幼いときから好みがあまり変わっていないらしいです(苦笑)。
まぁもちろん趣味は遙かに広がったのですが、いいなと思うアレンジの要素はそのときすでにあったらしいのですね。
恐ろしいものです。
その後、ボクはとにかくよく唄い踊る子どもで、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」は相当熱唱しまくっていたとのこと。
毎日お隣の大家さん宅に乗り込んでいって、床の間をステージにしてのリサイタルが日課だったという変な子だったそうで……(汗)。
これは記憶にあります。
大人になってからお菓子のおまけCDにこの曲があるのを知って、すぐに買って聴いてみたところ、やっぱり今聴いてもいい曲だと思いますもんね。
尾崎紀世彦 ベスト10

尾崎紀世彦 ベスト10

そして、自分の意志で最初に買ってもらったレコードがフィンガー5の「恋のナンバー6700」だったと記憶しております。
この曲では親を巻き込んでまぁ、とにかくツイストしまくった記憶がありますなぁ(笑)。
CD&DVD THE BEST フィンガー5(DVD付)

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それからは普通の小学生らしく、ベストテン番組なんかを見てましたが、小学校5年生の頃でしょうか。
出会っちゃったんですね、YMO
それからはもう寝ても覚めてもYMOばっかり聴いてましたね。
中学生になってYMOコピーバンド(バンド名はCSOで、YMOがイモと呼ばれていたので、ボクらは○ソと呼ばれていた)を組んでからは特にそうで、とにかく家にいるときにはひたすら聴いてました。
特にBGMとTECHNODELICは毎日のルーティンワークのようにして聴いてましたね。
あの頃はとにかく狭く聴いてましたよねぇ。
まぁ、YMO周辺のテクノポップと、あと母親の趣味でレコードがあったサイモンとガーファンクルでしょうか。
ボクの洋楽事始めがこれでした。
今の雑食ぶりが嘘のよう。
散開後しばらく経つまで結局YMOの呪縛から逃れられませんでした。
まったく罪なグループだよ。
聴いた時期がちょうど自分にとっては悪かったですね。
衝撃が強すぎて、他のものが耳に入らなくなっちゃいましたから。
もうちょっと後なら他の音楽を先に聴いてある程度免疫が出来ていただろうし、もうちょっと後なら乗り遅れていただろうし。
同級生で同じくYMOにはまって一緒にバンドを組んだ仲間は、並行して洋楽のヒットチャートも聴くようになっていったんですけど、ボクも聴いてましたがYMO散開まではやっぱりその近辺が断然好きでした。
しかし何だかんだ言ったって、ボクは結局音楽からは逃げられない人間なのだろうと思います。
ずっと逃げ続けてきましたが、実のところは腰が据わる前からの音楽人間。
こいつはいかんともしがたいですな。